実生活では待つことが多い塩見です。稽古場では…
待つことについて、何年か前、自分なりにあれこれ考えていた時期がありました。「待ってます」って言うのって、簡単ではないよねと。
もうほんと、祈りを込めて言うこともあれば、祈りを込めて言ってもらうこともありました。実感としてあった。
待つというのは、すごくポジティブなことだと思います。「待ってます」って、受け身やん。古くない?言わないと伝わらへんで。とか、色々あると思うけれど、これを言い切るのにどれほどの力のいることか。決して受け身ではない。待つということは、能動的でないと続かない。想像力がないと続かない。愛がないと続かない。
神谷美恵子さんの言葉を借りれば、『「待つ」ことは創造的なこと。待つか行くかだと、行くことが積極的で創造的だと思われがちだが、待つということは何か新しいことを生み出すどうしてもかくことのない営み。』
私は今まで引っ越し人生でした。だから、帰ってくるの待ってるねってのも、待っててねってのも難しいことを嫌という程経験しています。
でも。ありがたいことに、この歳になるにつれて距離は縮まり、世界は狭いなって思うことが増える。だって!皆んなもっと色んなところに飛び出していくから!
小学生の頃は、私の世界は西大寺で、自転車で平城宮跡まで行って走り回る日々だった。その頃は、そこしかないと思ってた。小さくて大きな世界。凝縮された愛おしい世界。
明日の稽古場に広がる世界を夢見ながら、おやすみなさい。
視線の先は…第3弾インタビューも、お楽しみにお待ちくださいませ!