覗き込むことは溺れることに似ていた。

おはようございます、秋葉です。

何かのきっかけがあって【感情】が芽生え、その【感情】が形になったものが【言葉】である。
原因があって、結果に結びつく、という風に。
私から出てくる言葉は、それと意識できなくても昨日とか10年前とか、もう覚えていないほど遠い昔の経験だったとしても、必ずその【言葉】に結びつく【感情】がある。
そう信じてきたのです、ずっと。

もし【感情】をスキップして【言葉】が出てくるようなことがあったらそれは異常事態で、原因とか理由を徹底的に調べなくてはならない。だって何を含んだどんな意味の言葉なのか、わからないから。

この徹底的に調べる=掘り下げる、という行為こそが役者の仕事ではないかと思うのです。
何もなく【言葉】が出てくることはなくて、必ず何か理由がある。

原因を探すのは難しいです。とても苦しいです。
何故なら言葉から遡って経験を想像するのは、たとえ台本に書かれた登場人物の架空の人生だったとしても、深く深く潜らなくてはならないから。

「覗き込むことは溺れることに似ていた」

これ、私の大好きな小説の一節で、10代後半でこの言葉に出会って以来、なんて静かで激しい、絶望的でエロティックな、美しい言葉だろうと心に刻んでいます。

こんな風に生きていたいです、舞台の上で。

◇◆秋葉舞滝子◆◇

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  • もしかしたら
    「時間」だけが彼女を救えるかも知れないという希望的観測。

    地球までは、救えないけど。

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