【記憶】と【記録】の間にある距離について、30年も考え続けている秋葉です。

以前、真剣に写真に取り組んでいた時期があって、その時は撮影のためにカメラもレンズも三脚もがっつりしたものを複数カバンに詰め込んで、もうバッタリ後ろに倒れるくらいの荷物を背負ってあちこち歩き回っていました。私の被写体は薄暗くて高いところにあって大きくもないものだったので300mm単焦点レンズとか高感度フィルムとか、そりゃもう大荷物だったのです。

限られた日程の中で同じところに何度も通って、最高の日射しを何時間も待って、けれどデジタルカメラではなかったのでうまく撮れているか現像するまでわからない。出来上がった写真に一喜一憂したものです。

そんな辛い思いをしてまで何故、写真を撮っていたのか。

それは、私は自分の目が見えなくなるのではと怯えていたからです。

元々あまり目が丈夫ではなくて、その上、夜中に暗いところで本を読んでいたせいで視力がどんどん落ちて、私は自分が見たいと思って見たものを形に残しておかなければならない、今!と悲壮な決意のもとに被写体と向き合ったのです。

そうしてたくさんの写真を残して、今、私はあまり気を張って撮ってはいません。

多分、本当に見たいものは、残しておかなくても心に焼きつくのだろうし、忘れてしまったとしても、それも受け入れられるようになったからかもしれません。

忘れることは、無かったことではないのだから。きっと私の中心に刻まれているのだから。

そして。

冒頭の【記憶】と【記録】の距離について、私の答えは出ていません。答えを出すことではなく、探し続けることが楽しいのかもしれません。見つけて、忘れて、探して、見つけて…それが、今の私を形作っているのですきっと。

花咲く
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「栗原課長の秘密基地」the 41st session

2019/11/20-11/24 下北沢「劇」小劇場